ここには12枚の『問い』が書かれたカードがあります。
ゲストが、それぞれ選んだカードに書かれた『問い』について、インタビューを通じてゆっくり考えていきます。
カードには何が書かれているか、ゲストにはわかりません。
ここでの『問い』とは、唯一の正しい答えがあるものではなく、思考を深め、さらなる問いを生んだり、生涯にわたって何度も問い直したりするような本質的なもの。
そして、ゲストの考えや価値観、人柄に触れるようなものが含まれています。
簡単に答えは出なくても、こうした考える時間自体に意味があるのかもしれません。
いま、少しだけ立ち止まって、あなたも自分や周りの人に問いかけ、想いを馳せてみませんか。
高知県出身。看護系大学を卒業後、神奈川県内にある急性期病院の循環器内科病棟に配属。産休・育休を挟み10年間同病棟に勤務。その後、子育て環境の変化を機に転職し、現在は千葉県内の急性期病院HCUに勤務。看護師18年目、主任。呼吸療法認定士資格を持つ。趣味は吹奏楽団でのフルート演奏。
小児科4年、整形外科・泌尿器科・内科系の混合病棟3年、その後、派遣で1年ほどクリニックや施設、ツアーナース、保育園などさまざまなフィールドで勤務。現在は整形外科病棟で非常勤をしながらライターとして活動して5年以上経つ。最近の楽しみは、仕事終わりのお酒と推しとまんが、それと美味しいごはんを食べること。
おじいちゃんが屋根から落ちまして
白石:
sakiさん、今日はよろしくお願いします!まずはこれまでのご経歴を教えていただけますか。学校を卒業してからどんなところで働いてきたか、転職の経緯も含めて流れで聞かせてください。
saki:
看護系の大学を卒業して、最初は神奈川県内の大きな急性期病院に就職しました。高度救命救急センターもある病院で、当時から救急の認定看護師を取りたくて入ったんですが、新人が救急に配属されるわけもなく……。希望を出した集中治療や外科も全部通らず、循環器内科に配属になりました。そのまま同じ病棟で、産休・育休を1回挟んで10年間在籍して。その後、子どもの保育環境や住宅購入のタイミングで引っ越して転職して、今は千葉県内の急性期病院のHCUで8年目です。主任もやりながら、今年で看護師18年目になります。
白石:
最初から救急をやりたかったんですね。そもそも看護師を目指したきっかけはどこにあるんですか。救急への思いとも繋がったりしますか。
saki:
そうなんですよ。きっかけはおじいちゃんで……。私、田舎育ちで、家族と父方の祖父母と同居していたんですけど、おじいちゃんが元大工で。引退してからも趣味で家のあれこれを直す人で、ある日「家の屋根が雨漏りしているから自分で直す」って言い出した。家族みんなで「歳だから業者に頼もうよ」と止めたんですが、昭和一桁の頑固おやじなので「わしはできる」と言って聞かない。全員が仕事や学校に出かけているタイミングを見計らって、こっそり実行に移したんです。
白石:
あっ、嫌な予感がしてきた……。
saki:
フラグ立てていますよね(笑)。今思うと一過性の脳虚血発作だったのかなと思うんですが、屋根から落ちてしまって。頚髄損傷で四肢麻痺になりました。叫ぶことはできたので「助けて!」とずっと叫んでいたら近所の方が救急車を呼んでくれて、大きな病院のICUに運ばれて……。
昼過ぎに家族みんなで遊びに行く予定があった日で、学校から帰ってきたら「おじいちゃんが倒れた」と言われて、子どもながらに生きた心地がしなくて。ICUに着いたら、手足が動かないことをまだふんわりとしか理解していないおじいちゃんが「おお、来てくれたか。なんか入院しちゃったわ、あははは」みたいに言うんですよ。こっちは大変なことになっているってわかっているから、私も妹も「生きてた!」ってなって泣いてしまっていたのに。
そこにICUの看護師さんが来て、ボロボロになっている家族に「ちゃんとお話もできますよ」と笑顔で声をかけてくれたんです。たぶんベテランの方で、指示系統をぱっと出して後輩が聞きに来て、というのをちょっと観察していたら、めちゃくちゃかっこいいし、めちゃくちゃ優しいし。その笑顔に救われた、と子どもながらに強く感じて。「この人みたいになりたい」と思ったのが、看護師を目指すきっかけでした。
白石:
そうだったんですね。おじいちゃんが救急車で突然運ばれて、「死ぬかもしれない」と感じた瞬間に寄り添ってくれた人の存在が、そのままsakiさんの原点になっているんですね。
2年で全員いなくなった病棟に、10年いた
白石:
でも実際は循環器内科への配属になって、10年居続けた。その流れをもう少し聞かせてもらえますか。
saki:
当時の病棟がまた大変で、人がどんどん辞めていったんですよ。私が入る直前に2年目の先輩が3人いたらしいんですが、全員辞めてしまって。その穴を埋めるために新人が7人配属になったんですが、2年後には私しかいなくて。みんないろんな理由で去っていって、2年目の終わりか3年目の頭あたりで気づいたら取り残されていて、そのままリーダーをやらされるみたいな感じでした。
正直、私自身は循環器内科を甘く見ていたんですよ。ドラマのイメージで、患者さんを車椅子に乗せてお散歩する感じだと思って入ったら、心筋梗塞と心不全の患者さんが次々来て、CCUからもバンバン出てくる。「全然違った!」と思いながら、異動の希望はずっと出し続けていたんです。でも師長にのらりくらりかわされて。「人手不足だから、ちょっと今年は……」と言われ続けているうちに結局異動できずで。妊娠出産して育休を取らせてもらったしということもあって、「じゃあこの病院でもうちょっと頑張ります」という気持ちになっていきました。
白石:
2年で同期が全員いなくなるって相当しんどいですよね。そのとき、sakiさん自身の気持ちはどうだったんですか。辞めたいとか、もう異動しかないとか、切実になった瞬間はなかったですか。
saki:
自分でも考えが古いと思うんですが、本当に心の底から嫌だったら辞めていたと思うんですけど、そこまでではなくて。同期がどんどんいなくなる中でずっとこいつはいるぞってなったら、先輩たちがだんだん可愛がってくれるようになってきて。ご飯に連れていってくれたり、なぜかイチゴ狩りの後に回転寿司に行くという謎のイベントに毎年連れていってもらったりして、今考えても「なぜイチゴを大量に食べた後に寿司なのか」全くわからないんですけど(笑)。
カテ治療の患者さんを見ながら人工呼吸器管理をして、患者さんが10人いても全然焦らず働いて、医者と対等に渡り合ってベッドコントロールをしている先輩たちを見ていたら、「かっこいいな、いつかこうなれるかも」という気持ちが頭の片隅にありました。途中でTAVIが病院で始まって、ハイブリッド手術室を作って、また新しく勉強することが出てきて。「あと1年いてもいいか、あと1年いてもいいか」と思い続けて10年経っていた、という感じです。
育休から復帰した後は子どもが小さかったこともあって、異動に踏み切れない気持ちもありましたね。「早く帰んなよ」と言われながらも結局帰れない日々の中で、長く入院している患者さんが「ここで記録を書きな」と病室でかくまってくれることもあって。患者さんにまで気にかけてもらいながら、気づいたらそのまま10年経っていたんですよね。
白石:
同期が辞めていく中で残り続けると先輩に可愛がってもらえるようになって、TAVIみたいな新しいことが始まるたびに「もう少し」ってなって、産休育休を経てからは子どものこともあって動きにくくなって、しかも患者さんにまでかくまってもらっていたとは(笑)。でも、長くいたからこそできる関係性って確かにありますよね。
「叩かれても逃げない」、そのルーツ
白石:
その10年居続けることのしぶとさというか、食らいついていける根っこってどこにあるんでしょう。
saki:
中高大とずっと吹奏楽部だったんですよ。今も趣味でフルートを続けているんですが、運動部じゃないのに根性を叩き込まれる部活で。コンクールに出るためにオーディションがあって、目隠しで審査されて「1番の人、はい」って振り落とされて、落とされた人がショックで泣くような環境で。中高一貫だったので中1で入ると高3の先輩がいるし、校庭を走らされたり筋トレさせられたりもしましたね。
なんで吹奏楽部に入ったかといえば、出席番号が前の子に「私クラリネット吹くんだけど、1人で入部に行くの嫌だから一緒に来て」と言われてついていっただけで、全く主体性はなかったんですけど(笑)。でも途中で辞めるのが嫌な性格なので、負けず嫌いだから逃げたくないという気持ちで食らいついていった結果、「叩いても叩いてもへこまない、逃げない」みたいな人間が出来上がってしまいました。
白石:
吹奏楽部って文化系でも体育会系みたいな言い方されることありますよね。練習時間がめちゃくちゃ長くて、先輩後輩の上下関係の厳しさもあって筋トレもする、みたいなイメージが。
saki:
まさにそれで(笑)。それと父親の存在も大きくて。「世界の情勢が変わったらいつ仕事がなくなるかわからない。なにかあったときに選ばれる人間になれ」と子どもの頃からずっと言われていて。9.11のニュースを一緒に見ながら「これについてどう思う?」と聞いてくるような人で。スーパーで働いている普通のおっちゃんなんですけど(笑)。「選挙行かねえなんて非国民だ」とも言われて育ちましたね。
あとは高知出身なので「都会生まれには負けねえ」という気持ちもずっとあって。坂本龍馬が生まれた県のものなので、そういう気質の人が多いのかもしれないです。
白石:
お父さんがそういう方なんですね。ちなみにお母さんはどんな方なんですか。
saki:
母親はまたちょっと違うタイプで、なんというかノリが軽くて(笑)。県外に出ることも「行ってみたら」と軽いノリで背中を押してきて。結婚も「嫌だったら別れればいいから1回やってみなよ」、子どもも「1人ぐらい試しに産んでみたら」って。今でも「喧嘩したんなら子ども連れて実家帰ってきてもええよ」って言ってくるような親で(笑)。
白石:
「1回やってみたら」のノリが(笑)。でもなんかいいですね、その柔軟さ。お父さんの「選ばれる人間になれ」という厳しさと、お母さんの「とりあえず1回やってみたら」という軽やかさ、両方もらって育ったんですね。
転職・引っ越し・新しい病棟……記憶のない数年間
白石:
でも、初めての転職と引っ越しが重なった時期、相当大変だったんじゃないですか。
saki:
記憶がないです(笑)。前の病院で年休が30日ほど残っていたのに最後の1週間しかとれなくて、その1週間で引っ越しと子どもの転園と転職手続きを全部やって。4月1日に入職して慣れない生活を始めたら突然高熱が出て1日休んだんですが、なんか乗り越えていました。日々その日を生きるのに精一杯でしたね。
転職先を選んだのも、当時は「急性期系であればどこでも」という感じで。面接で「急性期の病棟であればどこでも大丈夫です」と言ったら、看護部長に「ちょっと病棟見ていきなよ」って言われて。そうしたらHCUだけ見学させられてそのまま帰されて、内定通知と一緒に配属先が来て。「最初からここに決めていたんだろうな」と思いましたね(笑)。
白石:
もう決まっていたんですね(笑)。HCUってジャンルが幅広いじゃないですか。ずっと循環器内科にいたsakiさんには、かなりギャップも大きかったんじゃないですか。
saki:
全然違いました。消化器外科や呼吸器外科のオペ後も来るんですが、10年間ずっと循環器内科にいたから外科は全くの未知で。「血を吐いている人がいる」「ドレーンが何本も入ってオペから帰ってきた、この管とこの管はなに?」ってなりながら、家に帰ると子どもと一緒に寝落ちしては「あっ」と起きて出勤する、みたいな日々でした。その頃はかなりお酒を飲んでいたと思います(笑)。
転職してきた当初、呼吸療法認定士の資格を持っていたので「肺のコンプライアンスがこの値だとアラーム設定がおかしくないですか、これだと夜中ずっと鳴り続けますよね」みたいなことをやたら言っていたら、当時内科部長だった先生に「こやつは何者だ」となったらしくて。夜勤明けで帰ろうとしている私に「この患者さんの除水量どう思う?」と聞いてくるような関係性になっていきました。そのたびに「それ医者の仕事なんで、私に聞かないでもらっていいですか」とは言っていたんですけど(笑)。
「怖いお母さん」と呼ばれています
白石:
では、こちらで質問カードを準備したので選んでいただけますか。
saki:
右から5番目でお願いします。
白石:
「看護師の友達や同僚からどんな人だと言われていますか?」ですね。
saki:
最近は「お母さん」って言われます。物品を最後の1個使っても補充しない人を「最後の1個使った人誰~!」とずっと追いかけているので(笑)。急変のとき血ガスのシリンジが切れていたりすると困るから、補充ってすごく大事で。抑制帯の洗濯も気づくとだいたい私が回しているし、家でも職場でも同じことを言い続けているから、完全にお母さんキャラになってしまいました。
あとは「怖い」って言われます。急変のとき、先生が喉頭鏡をちんたら入れている間に横で吸引の準備をしながら心の中で「早くしろよ」ってなっているときの顔が般若みたいだと言われて(笑)。先生がテンパって「アドレナリン行きますか?」みたいになっているときに「アドレナリン!」って言っていたら、後で後輩に「sakiさん怖かったです」と言われる。目の前の患者さんが死にそうなのでそのときだけはどうしても無理で。自分でも後で振り返って「怖いな」とは思うんですが……。
白石:
でも、本当に怖い人には「怖い」って直接言えないと思うので、それだけ信頼されているってことですよね。そしてお母さんって言われるのも、なんかイメージあります(笑)。
saki:
急変のときは「いてくれると安心」とは言ってもらえるので、そこはよかったなと思っています。先生の指示が追いつかなくなってきたときに「血ガス採りますよね、レントゲン電話しましたか、ドパミン時間いくつで行きますか、この人体重60kgですけど」って言っていると、整理されてくる感じがあって。で、その後に血ガスのシリンジが切れていたりすると「最後に使った人誰~!」ってなるので、お母さんとセットで怖いって言われます(笑)。
白石:
そこに繋がるんですね(笑)。私もsakiさんと同年代ですけど、この歳になると物品の補充がなぜ大事かって、ちゃんとそういう場面があるからうるさくなるんですよね。
「助けなきゃ」と思わせる院長のもとで、経営を語るようになった
白石:
ちなみに、主任になったのはどういう経緯だったんですか。
saki:
ある程度は自分で、管理職になる方向で考えていました。子育てをしながら、このまま夜勤を月に何回もやって40代・50代になったとき同じように体が動くだろうかと考えたときに、所得を下げずに働き続けるには「偉くなるしかない」という結論になって。父親の「選ばれる側になれ」という刷り込みもありますし、AIや外国人看護師が増えていく将来を見越して、なにかしら自分の価値を高めておきたいという気持ちもありました。呼吸療法認定士を取ったのもその一つですし、マネジメントは機械に取って代わられにくい分野でもあると思って、個人面談でそのあたりの話をしていたら、副主任を1年経て昨年主任になりました。
あとは、転職してきた当初から一緒に仕事をしていたあの内科部長の先生が院長になったんですよ。病院スタッフに可愛いとこっそり囁かれている、実力派なのにすごく謙虚でいい先生で。主任研修で「この病院の売り上げの推移です、主任さんの力が必要です」って言ってくるのを見て、「あの可愛い院長が……助けなきゃ」ってなってしまって(笑)。
白石:
自分から管理職に向かっていった上に、院長への思いまで加わって(笑)。経営のことまで考えて動けるようになったのはどういうきっかけがあったんですか。
saki:
看護部長が「病院はもちろん患者さんを助ける場だけど、経営できなくなって潰れたら地域に一番負担がかかる」という話をしてくれていて。この地域はベッド数が少ないエリアなので、救急病院がなくなったら困るのは地域の患者さんで、そこまで考えてやっていかないといけないんだなというのが、だんだん面白くなってきました。大学病院みたいに大きい組織だと教授が一言言えば終わりで、一看護師がなにか変えようとしても難しいかもしれないんですが、今の病院は委員会で意見を出して実際に変えられることがわかってきたので。部長が「できない理由じゃなくてできる理由をつくるんだ」と言っていて、今年は看護記録を根本から見直そうと思っています。
白石:
おお、すごい。主任って、大変なイメージのほうが世間的には強いと思うんですが、実際なってみてどうですか。
saki:
なりたくない人が多いのは、そりゃそうだなと思います(笑)。今月の勤務表、自分で組んだんですが、夜勤8回入れて、日勤の日は全部会議で、入り明け入り明けの4連勤が2回ある。この生き方を後輩に勧めるかと言われたら勧めません。でも「今若い子を育てておけばいつか楽になるはず」という気持ちと、根性で乗り越えています。
だからこそ、辞めていくスタッフのことは気持ちよく送り出したいと思っていて。この前、「保健師になりたいから辞めたいけど、人手不足なので言いづらい」とこっそり相談してきたスタッフがいて。「やりたいことがあるならやったほうがいいよ」と言って、実は私自身も保健師の免許を持っていて友人に保健師がたくさんいるので、保健師として働いている友人とランチをセッティングして転職情報を集めてあげて。その子はこの4月から無事保健師として働き始めました。所属長にバレたら怒られるやつなんですけど(笑)。
白石:
素敵な上司ですよ、それは(笑)。でも確かに、去り際ってその人のことがよくわかりますよね。
saki:
そうなんです。「この病院が嫌だから」だけでなにも動かずに辞めていく人と、やりたいことがあって動いた上で辞めていく人とでは、見ていて全然違います。前の病院でどう頑張っても無理だったから辞めたのか、文句ばかり言って辞めたのかは、行動を見ていたらだいたいわかる。次の病院でもきっと同じことになるんだろうなと、ちょっと生温かい気持ちで送り出すこともありますね。去り際って大事だなと、主任になってから特に感じています。
根性はいらない。でも、学ぶことをやめないでほしい
白石:
最後に、読者の若手看護師さんや学生さんへメッセージをいただけますか。
saki:
根性はいらないです(笑)。自分のペースでいいので、学ぶのをやめないこと、それだけ伝えたいです。
……とはいえ、私自身は根性で乗り越えてきたタイプなのは自覚していて。時代に合っていないかもしれないとも思っているし、正直この生き方、普通にはできないんですよ。入り明け4連勤を自分で組んでしまうような働き方を、後輩に「こうすればいいよ」とは絶対言えない。根性があったから続けられたというより、根性がないとこの環境では続けられなかった、というほうが正確で。だからこそ、若い人たちに同じことを求めるのは違うと思っていて、病棟に定着して長く働いてくれる看護師を育てていくためにも、今の環境を変えていかないといけないと思っているんです。じゃあなにが大事かというと、「止まらないこと」なんです。根性じゃなくていい。1年目の目標は「元気に出勤する」でいいと思っています。体調が悪いときは休んで、大丈夫なときに来てくれれば。1年目なんて来てくれるだけで十分偉い。
白石:
確かに1、2年目のうちは日々の業務だけで精一杯で、新しいことを学ぼうという余裕がなかなか持てなかったりしますよね。
saki:
でも、業務をやっているだけで新しいことはいっぱいあるので、それでいいんですよ。この患者さんの薬を全部説明できるようにしなきゃ、とか大げさに考えなくて。わからないことを1個だけ調べて寝る、それだけでいい。
大事なのは4~5年目になって、病棟の業務をそつなくこなせるようになったとき。そこで「もうわかった」と止まってしまう人と、ちょっとずつなにかを続ける人とでは、何年後かに大きな差になります。学ぶのをやめてしまった人が怖いのは、「私はずっとこのやり方だったから」という言葉が口癖になっていくことで。若い子が持ってきた新しい情報を理由もなく跳ね返すようになる。これって世代の話じゃなくて、個人差だと思っていて。私と同じ年代でもちゃんと学び続けている人はいるし、若くても止まっている人はいる。若手のみなさんが「苦手だな」と感じる先輩って、だいたいそういう人だと思うので。私もそうならないよう気をつけています。
それと、仕事以外の話になりますが、ちゃんと仕事を忘れる時間もつくってほしくて。私はフルートを吹いている間だけは、頭の中が楽譜と楽器のことだけになって仕事のことを考える暇が全くなくなるんです。旦那に土下座して買ってもらった高いフルートなんですが(笑)、全然できなくてキーってなることもあって、それはそれで苦しいんですけど、仕事とは違う方向の苦しみなんでいいかなと思っています。
白石:
違う方向の苦しみ(笑)。でもそういう、完全に切り替えられる場所があるのって大事ですよね。今日は本当にいろんなお話を聞かせてもらえて、ありがとうございました。
saki:
こんな話が誰かの参考になるのかわかりませんが、ありがとうございました。
インタビュアー・白石弓夏さんの著書
私もエールをもらった10人のストーリー
今悩んでいるあなたが元気になりますように
デジタルアートや3Dプリンタを看護に活用したり、看護をとおして一生の出会いをつかみ取ったり、在宅のほうが担い手が少ないから訪問看護に従事したり、苦しかった1年目のときの自分を手助けできるようにズルカンを刊行したり、医療と企業の橋渡しをするためにスタートアップに就職したり、悩みながらも新生児集中ケア認定看護師の道をまっすぐ進んだり、ロリータファッションモデルとして第一線で活躍しながら看護師を続けたり、目的に応じて疫学研究者・保健師・看護師のカードをきったり、社会人になってから「あっ、精神科の看護師になろう」と思い立ったり……。
さまざまな形・場所で働く看護師に「看護観」についてインタビューしようと思ったら、もっと大事なことを話してくれた。看護への向き合い方は十人十色。これだけの仲間がいるんだから、きっと未来は良くなる。「このままでいいのかな?」と悩んだときこそ、本書を開いてほしい。
目次
◆1章 クリエイティブな選択肢を持つこと 吉岡純希
◆2章 大きな出会いをつかみ取ること 小浜さつき
◆3章 現実的な選択肢をいくつも持つこと 落合実
◆4章 普通の看護師であること 中山有香里
◆5章 ものごとの本質をとらえる努力をすること 中村実穂
◆6章 この道でいくと決めること 小堤恵梨
◆7章 好きなことも続けていくこと 青木美沙子
◆8章 フラットに看護をとらえること 岡田悠偉人
◆9章 自分自身を、人生や仕事を見つめ直すこと 芝山友実
◆10章 すこしでも前を向くきっかけを作ること 白石弓夏
発行:2020年12月
サイズ:A5判 192頁
価格:1,980円(税込)
ISBN:978-4-8404-7271-5
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