ここには12枚の『問い』が書かれたカードがあります。
ゲストが、それぞれ選んだカードに書かれた『問い』について、インタビューを通じてゆっくり考えていきます。
カードには何が書かれているか、ゲストにはわかりません。
ここでの『問い』とは、唯一の正しい答えがあるものではなく、思考を深め、さらなる問いを生んだり、生涯にわたって何度も問い直したりするような本質的なもの。
そして、ゲストの考えや価値観、人柄に触れるようなものが含まれています。
簡単に答えは出なくても、こうした考える時間自体に意味があるのかもしれません。
いま、少しだけ立ち止まって、あなたも自分や周りの人に問いかけ、想いを馳せてみませんか。
東京都出身。大学で経営学を学び、卒業後は就職氷河期の波を受けて臨時職員やシステムエンジニアとして勤務。27歳で老健施設の派遣事務員として働く中で看護師を志し、28歳で看護学校に入学。2011年に看護師資格を取得。脳外科病院、リハビリ病院、急性期病院を経て精神科病院に長く勤務。その後、訪問診療クリニック・訪問看護、NPO経営支援などを経て、2025年より看護学校の教員として勤務。現在16年目。思春期支援ボランティアやこども食堂の立ち上げ・運営理事も手がける。
小児科4年、整形外科・泌尿器科・内科系の混合病棟3年、その後、派遣で1年ほどクリニックや施設、ツアーナース、保育園などさまざまなフィールドで勤務。現在は整形外科病棟で非常勤をしながらライターとして活動して5年以上経つ。最近の楽しみは、仕事終わりのお酒と推しとまんが、それと美味しいごはんを食べること。
経営学部卒、就職氷河期。看護師を目指したのは、ひとりで黙って決めたことだった
白石:
おぬさん、今日はよろしくお願いします。もうずいぶん長い付き合いなんですが、こうしてちゃんとキャリアの流れを聞いたことって実はなくて。学校を卒業してから現在の教員という仕事に行き着くまで、転職も何度かされていますよね。ちょっと長くなってもいいので、流れで教えてください。
おぬ:
長いですよ、本当に(笑)。最初は看護とは全然関係ないところから始まっていて。北海道の大学で経営学を学んだんですが、就職氷河期で、ちょうど北海道拓殖銀行が潰れた頃でもあって、就職先が全然見当たらない時代だったんです。地元の福島に戻り、臨時職員のアルバイトを3年ほどやっていました。
その頃、福島県で思春期の子どもたちをサポートするボランティアに関わることになって、気づいたらその会の会長になっていたんです。保健師さんたちと連携する活動の中で「ちゃんと学ばないといけない」と思って、看護学校を初めて受験したんですが、落ちてしまって。その後、東京でシステムエンジニアとして働いたりもしたんですが、これもうまくいかなくて。27歳のときに地元に戻り、老健施設で派遣の事務員として働いていたら、一緒に働いていた看護師さんに「将来どうするの?」と聞かれて。「昔、看護師を目指したことがあったんですよね」と話したら、「もう1回受けてみたら?手に職つけたほうがいいよ」と言ってくれたんです。
白石:
その言葉を受けて、すんなりと再度受験を決めたんですか。
おぬ:
全然すんなりじゃなくて。3年間も収入が途絶えるのにどうやって生活するんだとか、大学まで出してもらったのに親になんて言えばいいんだとか、ネガティブなことばかり考えていましたね。でも「受けてみないと始まらないよな」と思って、親には黙ったまま、願書は職場に届くように手配して、受験当日も仕事に行くふりをしていつもより少し早く家を出て行きました。
平常時を知らないまま、看護師になった
白石:
どのタイミングで家族に話したんですか。
おぬ:
合格通知書が自宅に届いてはじめて家族にバレたんですよ。ただ、意外と受け入れてもらえて、おばあちゃんにも「私がお金を出すから行きなさい」と言ってもらえて。まあ……綺麗に言うと「家族の応援があって」です(笑)。それで28歳で入学して、31歳で看護師になりました。そのちょうど卒業した年が2011年で。卒業式が3月1日、准看護師の合格発表が3月11日。学校に「合格したよ」と報告しに行った帰り道に、東日本大震災に遭いました。大学を出た年は就職氷河期で、看護学校を出た年は震災が来て。なんでこのタイミングなんだって感じですよ(笑)。よく生きていたなと思います、本当に。
白石:
最初の職場はどんなところだったんですか。
おぬ:
最初に就職した福島の脳外科病院は、避難所から運ばれてくる患者さんを受け入れながら働くことになって、平常時がどんな状態なのかもわからないままのスタートでした。それで気持ちが苦しくなってきて、その年の9月には千葉のリハビリ病院に移って。看護師になって半年も経たずに最初の転職です。ただ、そこも長くはなかったですが。
白石:
というのは?
おぬ:
リハビリ病院の先輩に「基礎的な看護技術をちゃんと学んだほうがいい」と言われて、結局茨城にある公立の急性期病院に移ったんですが、そこが本当に苦しくて。多重課題が全くできなかったんですよ、当時は。たとえば、オムツ交換を頼まれたときに点滴をつなごうとしていたら、どっちを先にすればいいかわからなくて先輩に聞きに行ったのを、今でも覚えています。患者さんに言われたことが全部最優先になって、パンクしてしまって。そのうち夜勤に行けなくなって、家からも出られなくなっちゃって。上司が家まで来てくれて「しばらく休んだら?」と言ってくれて、実家の福島に帰ろうと高速道路を走っていたら、途中で意識が飛んでしまって……。大事故を起こして車は大破したんですが、自分は奇跡的に無傷でした。
白石:
それは怖かったですね……ご無事で本当によかったです。
おぬ:
全然無傷なんですよ。ただ買ってまだ2~3か月の車を大破させてしまって、そっちのショックのほうが正直大きかったですけどね(笑)。なぜか警察の人に止められながら自分で写真を撮っていた記憶があって、今でも写真が残っています。でもそのとき、看護師を辞めようと本気で思いました。こんなに苦しいなら別に看護師じゃなくてもいいじゃんって。ただ、「辞めるなら1回だけ、学生のときに得意だった分野をやってから辞めよう」と思ったんです。
白石:
その得意分野というのが、精神科と在宅だったんですか。なんで学生のときからそこだけは得意だと思っていたんですか。
おぬ:
実習で他の病棟に行くときは「早く終わんないかな」って気持ちしかなかったんですよ(笑)。でも精神科と在宅だけは、指導者さんにたくさん質問できて、患者さんもいろいろ話しかけてくれて、なんか嫌だなという気持ちにならなかった。精神科は特に、精神保健福祉法とか麻薬及び向精神薬取締法とか、普通の看護の授業では出てこない法律が絡んでくる面白さがあって。実際に行ってみたら「思ったほど普通の人が多いな」という驚きもあって、なんか興味が湧いたんです。在宅は在宅で、病院以外でも医療を受けている人がいるんだという発見があって。両方とも、事前学習の時点から面白かったんですよね。だからその2つをやってから辞めようと思って、精神科の病院を受けたら合格して、翌年の4月から働き始めました。
辞める前に1回だけ。精神科で、ようやく息ができた
白石:
実際に精神科に行ってみて、どうでしたか。
おぬ:
苦しくなかったんですよ、全然。最初に配属されたのが男性の慢性期の閉鎖病棟だったんですが、病棟全体がとにかく優しくて。急性期で2年弱しか働いていない僕の話を「大変だったね」って聞いてくれて、「もっと急性期の話聞かせてよ」みたいなノリでいてくれる先輩ばかりで。こんな職場があるんだと思って。
あと、精神科の慢性期病棟ならではだと思うんですが、多重業務になりにくかったんですよ。忙しそうにしていると患者さんが「俺はあとでいいから先行ってきな」って言ってくれる。「あっちの患者さんのほうが急ぎそうだから先に行ってあげな」と教えてくれる患者さんもいて。患者さんに教わりながら、最優先でやることと待たせていいものの判断をゆっくり身につけていけたんです。
白石:
それは精神科ならではかもしれませんね。一般病棟ではなかなかない光景。
おぬ:
そうなんです。だから急性期のときにパンクしてしまったのが、実は患者さんのせいじゃなくて、自分の考え方の問題だったということも、精神科でようやくわかってきました。それで5年ほど働くうちに、スーパー救急病棟や開放病棟への異動もあったんですが、慢性期で地力がついていたからか、それぞれの病棟でもちゃんとやれる自分がいて。精神科の教科書や参考書を読み直したりするうちに、精神科って深いなとどんどん思うようになって。面白くて続けていたら、いつの間にか5年経っていました。
白石:
精神科で長く働くうちに、患者さんとの関わり方というか、話の聞き方みたいなところも変わってきましたか。
おぬ:
変わりましたね。よく「傾聴」って言うじゃないですか。でも僕の場合、人の話を聞きながら実は夕食のことを考えていたりするんですよ(笑)。重要なセンテンスだけはちゃんと拾いつつ、基本的には頭の半分くらいは別のことを考えている。全部を受け止めようとすると自分が倒れてしまうから、うまく逃がしながら聞くっていうスタイルが、精神科にいる間に自然と身についていったんだと思います。
白石:
でも相手は話を聞いてもらえたと満足しているっていうことですか。
おぬ:
そうなんですよ。聞いてないようで聞いている、聞いているようで聞いてない、みたいな。必要なところはちゃんと拾えているから、アドバイスもちゃんとできる。急性期にいた頃は患者さんの全ての言葉を最優先にしてパンクしていたのが、精神科では「うまく逃がしながらそばにいる」ことを覚えた感じです。これって、自分を守ることと、相手のそばにいることが、実は両立するんだっていうことなんですよね。
白石:
患者さんとの関わりで、なんか印象に残っていることってありますか。看護師としてこういう場面があったから続けてよかったとか、患者さんからなにか学んだとか。
おぬ:
よく「患者さんの生きる姿から学ばせてもらいました」みたいな話があるじゃないですか。でも正直に言うと、そういう綺麗な話は自分にはほとんどなくて(笑)。患者さんから教わったのは、もっと直接的なことで。「頭から血が出てる人がいるよ」って教えてくれたり、「あっちから先に行ってきな」って段取りを教えてくれたり。立ち回り方とか、優先順位とか、そういうことを患者さんに実地で教わってきた感じです。でもだからこそ、患者さんにきちんと向き合いたい、ちゃんとケアしていきたいという気持ちになれたのかなとは思っていて。綺麗事じゃないんですけど、それが自分にとってのリアルな「患者さんから学んだこと」ですね。
精神科と訪問の往復。それがいつの間にかキャリアになっていた
白石:
精神科に5年いたあと、訪問診療のクリニックに移ったんですよね。それはどういう経緯だったんですか。
おぬ:
これがちょっと変わった経緯で(笑)。当時、ニコニコ生放送をやっていたんですよ。そのリスナーの中に医師がいて、その先生が僕の働いている精神科病院で研修を受けたいということになって、一緒に働くことになったんです。そうしたら後でその先生が「独立してクリニックを開いて訪問診療をやりたい」という話になって、一緒にやらないかと声をかけてもらって。それで訪問診療のクリニックを1年ほど一緒に立ち上げてやりました。
白石:
精神科の病院を辞めてクリニックへ、ですもんね。方向性がだいぶ変わりますよね。
おぬ:
もともと精神科と並んで在宅・訪問もやりたかった分野だったので、自分の中ではそこまで違和感はなかったんですよね。ただ、クリニックの経営方針が途中で変わってしまって、僕の仕事がなくなってしまったんです。それでまた精神科の病院に戻って、3~4年働きました。その後、訪問看護のバイトを2020年から始めて、病院の仕事と並行して続けていて。最終的に病院を辞めて訪問看護一本に移行して、2024年の7月まで続けました。振り返ると、精神科と在宅の往復みたいなキャリアですね(笑)。
「次の世代に残す仕事がしたい」看護学校教員という選択
白石:
訪問看護を辞めたのは、また別の声がかかったんでしたっけ。
おぬ:
そうです。もともと茨城の急性期病院で働いていた頃、立ち上げの頃から関わっていたNPOがあって。茨城北部で活動しているNPOなんですが、「人が足りないから経営を立て直してほしい」と声がかかって、2024年の7月に引っ越したんです。いろいろ問題もあったんですが、なんとか経営は立て直せて、メンバーに任せられる状態になった。そこで次になにをしようかと考えたときに、「自分がこれまで学んできた知識や技術を次の世代に残せる仕事がしたい」という気持ちが出てきて。また精神科病院に戻るのもなんか違うかなと思っていたタイミングで、看護学校の教員の募集を見て受けてみたら合格して、2025年の4月から教員として働いています。
白石:
最初に教員を目指そうと思ったとき、どんなことを伝えたいという気持ちがあったんですか。
おぬ:
精神科って特別な場所じゃないよ、ということを伝えたかったんですよ。看護を学べば学ぶほど「精神科は自分には縁がない」と感じる学生が多いと思うんですが、整形外科や内科と同じように、いつ自分や身近な人が関わるかわからない領域で。目には見えない、体から血が出るわけでも部位が欠損するわけでもない。でも心がとても疲弊してしまっている人のケアをする、その面白さを知ってほしいという気持ちがありました。基本的にADLが自立しているから、ちょっと背中を押してあげるだけでその人が少しずつ回復していく。そういうところが精神科の醍醐味だと思っているので。
……まあ今となっては、看護教員にならなきゃよかったなってちょっと思っていますけど(笑)。
白石:
え、そうなんですか(笑)。
おぬ:
この1年間、ほぼ毎日「向いてない仕事をしている」と思っています。精神科の授業だけじゃなくて、基礎看護の実習、成人老年の実習、統合実習も担当して、3年生の副担任もやって、国家試験対策係もやって。業務が山のようにあって、授業の準備をする時間すらなかなか取れなくて。病院で働いていた頃のほうがよっぽど楽でしたよ。大学の先生みたいに自分の担当教科だけやればいいものだと思っていたら、全教科やっているという(笑)。とんでもないってことが1年かけてわかりました。
白石:
昨年の始めは結構しんどかったって話をしていましたよね。
おぬ:
最初は慣れずに本当大変で、心も疲弊してしまいましたが、徐々に学生からも声をかけてくれるようになり、仕事に慣れることができました。精神科の実習についてきた学生が「先生とも話せて楽しかったです」と言ってくれると、ちゃんと効果は出ているのかなと思うし。実習に来た学生が精神科のイメージを少し変えてくれたなら、それはよかったなと思えるし。なんとかこの子たちを国家試験に合格させたいという気持ちがあって、続けています。
「なってから向いてるか決めたらいい」 揺れる車の中での出会い
白石:
では、ここで質問カードを選んでもらえますか。
おぬ:
このカード本当にあるんですね(笑)。じゃあ左から12番目で。
白石:
「最も影響を受けた人は誰ですか?」ですね。
おぬ:
これは難しいな……。でもやっぱり、「もう1回看護師を目指したら?」って言ってくれた、老健の看護師さんかな。その人がいなかったら、たぶん看護師になっていなかったと思うので。
白石:
そのときってどんな場面での話だったんですか。
おぬ:
ある日、急変した患者さんを施設の車で病院に連れていくことになって、僕が運転して、その看護師さんが患者さんの横についていて。突然「この先、どうやって生きていくの?」って聞かれたんです。
白石:
急変した患者さんを乗せながらの状況で(笑)。
おぬ:
そう(笑)。「昔、看護師を目指したことがあったんですよね。でも1回落ちてしまったので、向かないのかなと思っていて」と話したら、「いや、なってから向いてるか向いてないか決めたらいいよ」って言ってくれて。帰りのタクシーの中でもう、社会人が受けられる看護学校を検索していました。意外と近くにあって、これ応募できるじゃんってなって。その日のうちに決めましたね。
白石:
その人の看護しているところを見て、とかではないんですね。
おぬ:
そういう話じゃないんですよ。その人がどんな看護をする人なのかも、老健の事務だった僕にはほとんど見えていなかったんで。こんなに自分の人生を変えた会話なのに、その人はたぶん、そんなつもりで言ったわけじゃないと思うんですよね。でも、「なってから決めたらいい」って言われたことが、その後も何度となく頭に浮かんできました。看護師を辞めようと思ったときも、教員になろうと思ったときも、その言葉がどこかにあったような気がします。
「自分を後回しにしてしまう」 それが嫌で、でもやめられない
白石:
ちなみに今の教員のお仕事は、傍から見ているとすごく向いてそうに見えるんですけど、さっきから「向いていない」と言い続けていますよね。
おぬ:
自己評価は完全にマイナスなんですよ。なんか楽しそうで全部うまくいってそうって思われているかもしれないですけど、自分の中ではずっと「なにもうまくいっていない」と思いながら生きてきていて。
白石:
おぬさんって昔からそうだと思うんですが、人のために動けるところというか、助けになりたいと思ったら動いてしまうところが、すごくおぬさんっぽいなと思っていて。実際、おぬさんと関わるようになってから私自身も精神科の本を読むようになって、精神科のイメージがだいぶ変わったんですよね。
おぬ:
それがダメなんですよね、と思っているんです。人のためにやろうと思って、結局自分の人生をちょっと後回しにしてしまっている気がして。こども食堂の運営理事もやっていますけど、あれも回復期リハで一緒に働いていた看護師に「社会貢献活動がしたい、こども食堂ってどう思う?」と声をかけられて、じゃあやろうよってなって2018年に立ち上げたんですよ。県内でも5番目という早い時期に立ち上がって、今では大きな規模になっているんですが。正直今の自分は、人の食事よりも自分の食事を優先しないといけないくらいの状況なのに、人の食事のことを考えている(笑)。まあいいんだけどね。でも、もうちょっと「俺は俺の道でいくんだ」みたいなかっこよさが欲しいんですけどね。
白石:
そうやって結局「まあいいか」ってなってしまうのが、めちゃくちゃおぬさんっぽい。
おぬ:
そうそう、そういうとこなんですよ(笑)。結局目の前に困っている人がいたら放っておけなくて、そっちを優先してしまう。人の意見にも左右されてきた人生で、「看護師になったらいいよ」って言われたら受けてみるし、「NPOを立て直してほしい」って言われたら引っ越してみるし。それが良かったのか悪かったのかまだわからないけど、今ここにいるのはそのおかげでもあって。悪くもあり良くもあり、ですね。
白石:
傍から見ると、おぬさんは悩み、もがきながらも、そんなに悲壮感漂っているようには見えないのは不思議なんですよね。
おぬ:
悲壮感を出したら終わりだから、出さないようにしているというか。でも正直、一人暮らしで身近に頼れる人もいない中で、本当に必死に生きてきた結果が今なんですよね。だからその、思っているほど全然いい人生じゃないんですよ(笑)。
白石:
でもなんか、おぬさんが必死に頑張っているのを見ると、私も頑張れるってなるんですよね。たぶん周りのみんながそう思っていると思う。
おぬ:
あのおっさんも頑張っていたら、私まだ頑張れる、まだ生きる希望があると思っていただければいいのかなって(笑)。でも、だからこそ、とりあえず今を生きるしかないって動いてきた。そのくり返しが、ここまで続いてきた理由なのかなと思います。
後輩へ。大きくしゃがんだ人ほど、ジャンプ力は強い
白石:
最後に、後輩の看護師さんや学生さんへのメッセージをいただけますか。
おぬ:
日々学生に伝えているから、もうネタ切れ感ありますけど(笑)。でもやっぱり、つらい経験や苦しい経験って、必ず誰にでもあって。あるとき、知人でもある中山有香里さん(看護師・イラストレーター)の言葉「大きくしゃがんだ人ほどジャンプ力は強い」に出会って。それがずっと頭に残っていて、今でも学生から相談を受けるときにその言葉を引用することがあります。
僕自身、大学を卒業したら就職氷河期で、看護学校を卒業したら震災が来て、急性期でパンクして高速で事故を起こして。どこまでしゃがめばいいんだって感じですよ(笑)。でも、そのたびになんとか動いてきた。その苦しさを経験したからこそ、次の世代に伝えられることがある。同じ苦しい思いをさせたくないという気持ちにもなれる。だからつらい経験は無駄じゃなかったと、今は思えています。
新卒からずっとうまくやれている人も、転職をくり返してきた人も、一度は看護師を辞めようと思った人も、それぞれのしゃがみ方があると思うんです。そこで止まらずに、もう1回だけ動いてみてほしい。精神科だって最初は「辞める前に1回だけやってみよう」という気持ちで入ったんですから。なってみてから向いてるか向いてないか決めたっていい。動いてみてから考えたっていい。
あとはもう、本当にいい看護師になって僕のことを看病してください(笑)。それくらいかな、僕から言えることは。
インタビュアー・白石弓夏さんの著書
私もエールをもらった10人のストーリー
今悩んでいるあなたが元気になりますように
デジタルアートや3Dプリンタを看護に活用したり、看護をとおして一生の出会いをつかみ取ったり、在宅のほうが担い手が少ないから訪問看護に従事したり、苦しかった1年目のときの自分を手助けできるようにズルカンを刊行したり、医療と企業の橋渡しをするためにスタートアップに就職したり、悩みながらも新生児集中ケア認定看護師の道をまっすぐ進んだり、ロリータファッションモデルとして第一線で活躍しながら看護師を続けたり、目的に応じて疫学研究者・保健師・看護師のカードをきったり、社会人になってから「あっ、精神科の看護師になろう」と思い立ったり……。
さまざまな形・場所で働く看護師に「看護観」についてインタビューしようと思ったら、もっと大事なことを話してくれた。看護への向き合い方は十人十色。これだけの仲間がいるんだから、きっと未来は良くなる。「このままでいいのかな?」と悩んだときこそ、本書を開いてほしい。
目次
◆1章 クリエイティブな選択肢を持つこと 吉岡純希
◆2章 大きな出会いをつかみ取ること 小浜さつき
◆3章 現実的な選択肢をいくつも持つこと 落合実
◆4章 普通の看護師であること 中山有香里
◆5章 ものごとの本質をとらえる努力をすること 中村実穂
◆6章 この道でいくと決めること 小堤恵梨
◆7章 好きなことも続けていくこと 青木美沙子
◆8章 フラットに看護をとらえること 岡田悠偉人
◆9章 自分自身を、人生や仕事を見つめ直すこと 芝山友実
◆10章 すこしでも前を向くきっかけを作ること 白石弓夏
発行:2020年12月
サイズ:A5判 192頁
価格:1,980円(税込)
ISBN:978-4-8404-7271-5
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