もしも、自分の大事な友人が、家族が、最愛の人が、ある日突然倒れたら。意識はあるのに、会話ができなくなったら。
そのとき人は何を想い、何を伝え、何を選択するのか。
2022年、新型コロナウイルス感染症の影響が続くこのときに、終末期医療とどう向き合うのか……。
2021年2月にVR演劇として公開された『僕はまだ死んでない』が舞台化。
公演に先駆けて、3回に分けて舞台にかかわる皆さまにインタビューしました。第3回は本作より、演出家であるウォーリー木下さんと、脚本家である広田淳一さんにお話を伺いました。
銀座・博品館劇場にて上演
原案・演出:
脚本:
出演:
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93年、神戸大学在学中に演劇活動を始め、劇団☆世界一団(現sunday)を結成。外部公演も数多く手がけ、役者の身体性に音楽と映像とを融合させた演出を特徴としている。また、ノンバーバルパフォーマンス集団「THE ORIGINAL TEMPO」のプロデュースにおいてはエジンバラ演劇祭にて五つ星を獲得するなど、海外で高い評価を得る。10ヶ国以上の国際フェスティバルに招聘され、演出家として韓国およびスロヴェニアでの国際共同製作も行う。2018年4月より「神戸アートビレッジセンター(KAVC)」舞台芸術プログラム・ディレクターに就任。最近の作品に手塚治虫 生誕90周年記念「MANGA Performance W3(ワンダースリー)」(17)、舞台「スタンディングオベーション」(21)、「バクマン。」THE STAGE(21/10~)、東京2020パラリンピック開会式(21)、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」(15-21)など幅広いジャンルの演出を手掛ける。
2001年、東京大学在学中に「ひょっとこ乱舞」(現アマヤドリ)を旗揚げ、主宰する。以降、全作品で脚本・演出を担当し、しばしば出演。さりげない日常会話ときらびやかな詩的言語を縦横に駆使し、身体性を絡めた表現を展開。簡素な舞台装置と身体的躍動感を必須としながらも、あくまでも相互作用のあるダイアローグにこだわりを見せる。
日本演出者協会「若手演出家コンクール2004」にて最優秀演出家賞受賞。
大切な人を亡くした体験、終末期医療や安楽死をめぐる問題から着想を
ーー本作のテーマとして、終末期医療を扱うにいたったきっかけや理由を教えてください。
ウォーリー まず、VR演劇を作ることになり、視聴者が体験できる何かを作りたいというアイディアがベースにありました。そこで、閉じ込め症候群(ロックドインシンドローム) のように、寝たきりの患者さん役を体験できるのはどうだろうかと、話が出たのが最初だと思います。そこに広田君の作った終末期医療を扱った脚本をみて、話を持ちかけました。
広田 なぜ僕が終末期医療を扱った脚本を作っていたかというと、個人的なことがきっかけです。ちょうど2018年頃は親族やお世話になった方の不幸が重なり、安楽死の問題が注目されてはじめていた時期でもあり、終末期をテーマにして脚本を書いてみようかと思ったんです。だけど、プライベートな話になりすぎても嫌だし…と悩んでいたときに、医師の長尾和宏先生がイベントで近くにいらっしゃることを知り、個別に話を伺える機会を作りました。それから作った脚本をウォーリーさんにご覧いただいて、今回のVR演劇や舞台へと繋がることになりました。
ウォーリー 広田君の脚本の特徴でもありますが、ユーモアやコメディ要素も含まれているところがあって。患者さんの周りで、家族や友人がバタバタとしょうもない会話をする、日常的な面白さがあってもいいのではないかと思いました。医療を扱うテーマでは少し不謹慎かもしれませんが、演劇としてはこうした面白さもあると思っていて。この話を詰めていくなかで、安楽死という言葉も出てきたと思います。当時、終末期医療や安楽死をめぐる議論がなされ、戯曲にあげないのはもったいないような気がしました。こうして自分の周りで起こっていることや、興味関心が重なった結果が、この『僕はまだ死んでない』の制作にいたった一連の流れです。
ーー終末期医療というテーマにあたり、情報収集で参考にされた資料などはありますか。
ウォーリー 僕もちょうど長尾和宏先生の小説『安楽死特区』を読んでいましたね。いま日本において、最前線で終末期医療を考えている方が小説を書くと、こんな風な書き方になるのかと参考にさせていただきました。
広田 僕はジャーナリストである宮下洋一さんの『安楽死を遂げるまで』というノンフィクションですね。海外のさまざまな地域へ取材にいき、安楽死についての考え方や実際の様子を取材された本です。日本や海外の現状、どのように議論が進んでいるか、実際に海外で積極的安楽死を間近に控えた方のインタビューなどもあり、こういう世界があるのだと、はじめて知ることばかりでした。
その場にいること、ダブルキャストのみせ方で誰にでも起こり得ることを表現
ーー寝たままの状態が続く直人役など、演出面で工夫されたところなどはありますか。
ウォーリー 演劇のフィクションの世界ではありますが、お客さんが「あの人はそういう状態になったんだ」と感じられるように、リアリティをもって表現しなくてはいけません。役者は演じるのもはじめてだと思いますし、嘘がバレやすい、本当に難しい役だと思います。僕が演出家としてどこまでいいアドバイスができているかはわかりませんが、「寝ちゃったら、それでもいいよ」と冗談を言うこともあります(笑)。
広田 動かないからといって、人形をベッドに寝かせるのでは違うんですよね。実際の人間が寝ている、誰かがそこにいるというのが、役者にとっても舞台の演出としてもすごく重要で。舞台上で寝ながら演技というのは、これまであってもせいぜい5~10分くらいですよね。それが今回のように30分以上もというのは、なかなか演劇の世界ではないと思います。
ウォーリー やっぱり身体の痒みが気になるみたいですね。普段は無意識にポリポリとかいているから気づきませんが、いざ動けなくなると、こんなにも身体のあちこちに意識がいくのかという話を聞いて、僕も「あぁ、なるほどな」と役者から教えてもらうこともたくさんありました。役者は痒くなっても周りには言えませんし、自分でかくこともできないという精神状態を疑似体験できるわけです。演じることで、一度別の人生を生きるみたいなところもありますが、その感じたことを観客にも伝えられるところまでできたらと思います。
ーー患者役と友人役がダブルキャストで交代するのは、どのような狙いがあるのですか。
ウォーリー VR版と大きく違うのがここで。お客さんとしては2つのステージをみれば、「どういうことなんだろう?」と不思議な気持ちになるかもしれません。だけど、こうした病気や怪我をするのは、必ずしも何か大きな因果があるわけではなく、ときに突然の理不尽な暴力みたいなものもあるわけで。それが僕ではなくて、あなたに襲いかかる理由は誰にもわかりません。それを、ダブルキャストで演じることを通して伝えたいです。
ーー稽古初日に役者全員で対話をする時間をとったのがよかったという話を聞きましたが、どんな意図があったのでしょうか。
ウォーリー 実は一人の役者から「戯曲に描かれているようなことは一度体験している」という話を聞かされて、それをみんなで共有したいというところからはじまりました。この戯曲は答えをずっと探し続けている最中に、少しだけ明るい光が見え隠れするようなものでもあるので、なにか答えを出すことが重要ではなくて。役者みんながそれぞれ思うことをしゃべって、5人いたら5人の考え方がある、お客さんが100人200人といたらそれだけの考えがあることを、初日に疑似体験できたのはよかったと思います。
ーーさいごに、読者や看護師に向けてのメッセージをお願いします。
広田 医療技術が進んだ現代では、人間の哲学や思想、倫理の部分で本当は考えなければならない問題がたくさんあると思います。終末期医療に関しては政治的な問題も複雑に絡んできていますし、それに私たちも追いついていない現状です。だけど、技術だけは進んでいるので、医療従事者の方々は現場で対処してくださいと最前線に立たされている…。コロナ禍の状況でもそうですが、非難されたり、応援されたり、それでも日々現実と向き合わなくてはいけなくて、すごく大変な立場であると痛感します。
医療従事者の方々を通して、私たちは医療に触れるわけですが、この人たちもひとりの人間で、同じように親がいて子どもがいて。患者さんとのやりとりのなかで、本来ならあまり表に出ない医療従事者のパーソナリティーな部分を見出していくのも、この作品がひとつの救いになるのではないかと思いました。 医療従事者の方々を神聖視しすぎず、ユーモアも織り交ぜながら、本作では絶望のなかで見出すかすかな光のような、ほっとする瞬間のように感じてもらえたらと思っています。
ウォーリー 広田君も僕も、役者も嘘がないように頑張って作っています。でも、フィクションの世界でもあるので、医療従事者の方々がみたら細かなところではいろいろ思うこともあるかもしれません。 それでもいままで医療と関係ないところで過ごしてきた人が、こういう世界もあるんだと、作品に触れることで新しい視点を見つけてもらえると思います。人生で病院のお世話にならない人はほとんどいませんから。これから医療従事者の方々と出会う人に、なにかのヒントになればと思っています。
構成・記事作成 白石弓夏
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取材 編集部