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メディカLIBRARY で2020年10月から、この連載を始めてからもう80回になります。

「ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合って来たのか 認知症の介入困難事例アプローチ」の前身であるメディマガでの連載が2018年8月からでしたから、認知症の介護困難・介入困難ケースをみなさまに紹介し始めてかれこれ満5年になりました。

以前にも書きましたが、ディープな症例を見ると「こんな特殊な事例、めったにないだろう」と思いがちです。ディープというのは病気の症状が激しいとか診断治療が難しいというだけではなく、介護環境や取り巻く人々の人間関係もひっくるめて複雑な問題を抱えているということです。掘っても、掘っても、掘り下げてもすぐには解決しそうもない問題が次々現れて、対象の患者をどのように援助していけばいいのか方針が定まらず悩みが尽きません。時に迷走します。

認知症の専門医というと「ピタッと診断してサクサクと治療を進めていく」イメージを持っている方が多いかもしれません。しかし現実は違います。実際の現場ではなかなか診断自体がつかないケースが多く見受けられますし、診断名が1つでは済まず、2つどころか3つも4つも疾患が合併して複雑な症状を呈していることもあります。教科書通りにはいかないのです。

そのように認知症の診断治療で迷走している姿をそのままお見せして、「困っているのは私だけではないんだ」と安心してもらえると嬉しいなと思って連載を始めました。私自身は困ったまま安心して放置しているわけではなく、いつもジタバタしているのですが。

そして、認知症の診療は介護と切り離して考えることはできません。認知症を専門にするなら介護の知識も必要です。認知症の治療の一環で行われるデイサービスは介護保険を使って行われますし、それ以外にも介護者ケアのためのサービスや進行して施設入所する際にも必要です。連載にあたっては認知症診療と介護保険サービスの話を両方ともなるべく盛り込むように心がけました。

日々の診療で印象深い人々の姿を書き綴ってきましたが、なにせ5年間もやっていると「このパターンは前にもあったような気がする」とマンネリ化を感じるようになりました。

連載が80回、始めてから丸5年、そしてもう一つ付け加えるなら今年私は還暦を迎えました。区切りの歳でもありますね。今回で連載を終了させていただくことになりました。5年の間にはコロナ禍があり、私自身の親の介護問題が勃発したりと「もう連載断ろうかな」と考えた場面もありました。でもやめないで続けました。自分にとって続ける価値があったからです。

この連載をして良かったことがたくさんありました。混沌としていたケースを振り返ることにより、考えをまとめることができました。診療に追われて走り続けていると気がつかないことでも、もう一度最初からおさらいして振り返ると全体像が浮かび上がってくるものなのですね。そうして、そのときどきに困っていたケースをまとめて言語化することにより、解決の糸口が見えてきたこともありました。

いままで解決しないどうにもならないケースを書いてきましたが、その人々がいまどうしているのか気になりましたので最後に何ケースか振り返ってみることにします。




CASE001:ネグレクトではない
83才女性
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あらすじ

優しい夫が認知症の妻を介護していましたが、身体合併症や認知症の進行などで介護しきれなくなり、結果としてネグレクトになっていました。

いわゆる「抱え込み型」です。介護職、行政まで巻き込んで高齢者虐待防止法に基づく「虐待ケア会議」を開きました。

会議の結果、離れて住む娘に連絡をして、妻を入院させて適切な医療・介護を受けられるようにしようとしたところ、その娘が「母を入院させたくない」と言い出し八方塞がりとなりました。

その後の経過

娘は入院は拒否しましたが、その後、頻繁に実家を訪問してくれるようになりました。入院できないのであればショートステイ利用を増やそうということで区分変更申請し、要介護4になりました。

ケアマネジャーは訪問看護週2回、訪問リハビリテーション週2回、訪問介護週2回、通所介護週4回、ショートステイも定期的に取るという手厚いプランを作成しました。

通所や訪問サービスは受け入れてもらえましたが、ショートステイや特養の申し込みは夫がたかくなに拒みました。

娘は毎日訪問し、本人が床に倒れていれば起こすのを手伝いました。夫では本人を起こすことができなくなっていました。本人の認知症は進行し、赤ちゃんのように何かあると泣くだけになっていました。

再び虐待ケア会議が開かれました。会議では、夫が本人の体を起こすことができないことで結果的にネグレクトにつながっているため、倒れたときに起こすための緊急時対応サービスの利用を検討することになりました。具体的には、訪問看護ステーションによる24時間対応体制加算を算定し、緊急時訪問看護を行うことを提案しました。

翌年には、入浴についても夫は介助できなくなったのでデイサービスで入れてもらえるようにしました。認知症対応型デイサービスです。

そこまでケースワークが進んだところで夫婦はコロナウイルス感染症に罹患しました。感染症病棟に入院して一命を取り留め、退院後は訪問診療に移行することになりました。私は診療情報提供書を書きました。その後経過はわかりませんが、自宅で適切な介護が受けられるようになっていてほしいと願っています。




CASE019:母親をめぐって
84才女性
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あらすじ

介護方針が異なる長女と次女が母親をめぐって対立していました。長女の家に引き取られた後で本人の認知症が悪化したことを、次女は「長女のせいだ」と思っていました。次女は仕事を持っており本人を引き取って介護することは難しかったのですが、無理をして本人を自宅に連れて来ました。

次女はしばらく本人の面倒を見ていましたが過労で倒れ、限界を感じて本人を施設に入れることにしました。そんな矢先、次女が家を留守にしていたあいだに本人がいなくなりました。どうやら長女が本人を連れ出し自分の家に連れて行ってしまったようです。

その後の経過

半年後、行方不明の本人が自分のきょうだいに電話をかけてきたので居どころが判明しました。きょうだいへの電話で本人は「長女の家にいるけど婿に怒られる。寒くて着る物ももらえない」などと涙ながらに訴えたということでした。

長女はスパルタ式で、できないことがあるとガミガミ怒ります。毎日ドリルをやるよう命令し、やらないと好きなオヤツも食べさせてもらえません。きょうだいに電話をかける回数も制限されていました。また、「次女に電話したい」と頼みましたが「妹はお母さんを認知症呼ばわりする悪い娘だ。妹と話してはダメ」と次女に連絡を取ることを禁じていました。

本人のきょうだいと次女が相談し、「きょうだいと食事に行くから」と言ってきょうだいが長女の家から連れ出しました。その足で次女の家に行き、当院への通院を再開しました。

長女宅にいたときには抗認知症薬による治療をせずデイサービスにも通っておらず、徐々に認知機能が低下していましたが、次女と暮らすようになり、当院でアリセプト®︎を開始しデイサービスも導入したところMMSE19点が23点に改善しました。

翌年にはデイサービスだけでなくショートステイも利用するようになりました。そこで新たな問題が発生しました。介護保険サービスの利用料を支払うため本人の年金が入っているはずの口座を確認したところ、本人は長女と信託契約を結ばされていたことが判明したのです。本人にその記憶はありません。サインした覚えもありませんでした。

次女は家庭裁判所に成年後見の申立てを行いました。本人の財産が本人の介護に役立てられるように祈らずにはいられません。




CASE046:定年後の罠
74歳女性
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あらすじ

定年退職した独身女性が軽度認知障害で通院を始めました。介護保険の訪問看護とデイサービスで安定して経過しているように見えました。

本態性振戦も合併していたため、手の震えを抑えようとお酒を飲み始め、徐々に飲酒量が増えていきました。飲酒の影響で認知機能が低下して、ふらついて転倒することも出てきました。

お酒が切れると不安になるので連続飲酒になりました。ついに階段から転落して大怪我をしました。飲酒をやめるように説得してもかたくなに拒みます。

遠方に住む妹が関わるようになり、アルコール依存症として治療を始めました。自立支援医療を申請して精神科訪問看護に移行しました。

その後の経過

入院や入所を勧めましたが自宅での生活を強く希望したのでショートステイを導入しました。年末年始にショートステイで過ごし、施設内ではアルコールではなくノンアル飲料を飲んでもらうことにしました。

するとノンアルでも他の入所者とともに年末年始を楽しく過ごすことができました。週5日間をショートステイで過ごすうち、孤独感が癒やされ飲酒しなくなりました。

翌年は、MMSE26点でした。軽度認知障害の状態が続いています。ふらつき、転倒もなくなり不安感も治まっています。75歳、後期高齢者になりました。これからもいまの住まいで暮らしていけそうです。




CASE047:交番
69歳男性
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あらすじ

妻に対してDVを行なっていた男性が認知症になりました。幻視やパーキンソン症候群が加わってレビー小体型認知症と判明しました。性格が変わって不安感が強くなり、パニック状態で交番に駆け込むことを繰り返しました。

その後の経過

交番に駆け込むのを阻止するため、本人が外せないようなロックを取り付けて、玄関から出られないようにしました。すると夜中に窓ガラスを割って自宅のベランダから道路に飛び降りました。ガラスは粉々になりました。

入院を勧めましたが妻は「かわいそう」とのことで自宅介護を希望しました。リスパダール®︎を0.5mg頓服してもらうことにしました。薬剤性パーキンソン症候群が激しく出るため、レビー小体型認知症に抗精神病薬は良くないのですがやむを得ませんでした。

リスパダール®︎を服用すると不安や恐怖でパニックになることが抑えられ、「悪かったね」と妻に謝るようになりました。

半年後には認知症が進行しておとなしくなりました。リスパダール®︎は中止しました。家の中のレイアウトがわからずトイレ以外の場所で排泄します。要介護4になりました。排泄の後始末が大変で妻が疲弊してきました。ショートステイの利用を勧めましたがこれも妻は「かわいそう」と利用しませんでした。

翌年、さらに認知症が進行し失語になりました。簡単な単語しかわからないのでMMSE4点です。1年前には16点でした。失語になるとMMSEは急激に低下します。口頭指示がまったく入りません。

妻の顔をしげしげと見て「おまえ前は誰と結婚していたんだ」と聞きます。過去の記憶がなくなってしまいました。ようやく施設に入れようということになりましたが希望したグループホームでは「要介護3までです」と断られました。「認知症専門病棟に入院させてはどうですか?」私は提案しましたが、妻は「精神病院はかわいそう」と言いました。

妻が体調不良で倒れ、息子の判断で有料老人ホームに預けました。息子は「もう認知症が重度で、いま内服しているアリセプト®︎やメマリー®︎の効果はないように思います。施設に入るし、お薬をやめてみたいのです」と言いました。私は施設の医師に診療情報提供書を書き、家族の希望で認知症の治療も終了することにしました。

施設に入ったところ室内のあちこちで排泄したり、スタッフに口頭で制止されても意味がわからず手を払いのけたりしたようです。施設の嘱託医がリスパダール®︎を処方しました。私が頓服で少量処方していたのに比べて多い量を出されたようです。するとすぐに過鎮静になり、寝たきりになって褥瘡ができました。嚥下障害も出現し誤嚥性肺炎になったので嘱託医は経口摂取を中止し点滴管理にしました。リスパダール®︎も中止しました。しかし間に合いませんでした。

転院して2カ月、窓口に妻が訪れました。「主人は亡くなりました。施設に入れなければよかったと後悔しています。かわいそうなことをしました」

私は心の中で思いました。

「もし有料老人ホームではなく認知症専門病棟に入っていれば、抗精神病薬を服薬することはなかったでしょう。だから過鎮静になることはなく、褥瘡や嚥下障害になることもなく、病棟を徘徊して騒いだり、あちらこちらで排泄しながらもいまでも生きていたかもしれません」

しかし、それは心の中にしまいました。

「十分介護しましたし、寿命だったと思います。奥さまはよく最後まで看たと思います。本当にお疲れさまでした」

私が頭を下げると妻は泣き出しました。

「施設に入れなければよかった!かわいそうなことをしました!」

妻は感情が抑えられません。

「あのとき認知症専門病棟への入院をもっと強く勧めていれば」と思いましたが、もう私は何も言えなくて、ただ頭を下げるしかありませんでした。




CASE069:小鳥を追って
75歳女性
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あらすじ

本人はもともと認知症の母を介護していました。母を施設に入れた後で自身も認知症を発症しました。やがて本人を夫が介護するようになりました。夫は献身的に介護して、本人は家で小鳥を相手に穏やかに暮らしていました。

夫が体調を崩し家に一人になった後、小鳥がカゴから逃げ出し、その小鳥を追って本人は迷子になってしまいました。介護者がいないと家で暮らせません。親族は本人を認知症専門病院に入れました。

夫の病状が落ち着き、本人が入院していることを知るとすぐに退院させてまたいっしょに家で暮らし始めました。

その後の経過

認知症専門病棟ではほとんどの服薬を中止します。抗精神病薬などの向精神薬はもとより抗認知症薬も中止します。そして本人の自然な症状のまま病棟で世話をします。徘徊してもいいように病棟は回廊式になっていました。

自宅に帰るとやはり服薬は必要でした。元通りに抗認知症薬や向精神薬を再開しました。訪問看護を導入しましたが、結局まもなく中止になりました。デイサービスのみ継続し、外来通院していました。

半年後、夫が再度体調不良となり入院してしまいました。息子の判断で本人はショートステイに預けられました。特養のショートステイです。同時に特養の入所申し込みもして、ショートステイをしながら入所待ちになりました。帰宅願望が強いようですが、この2カ月なんとか入所できているようです。このまま特養に入ることになるでしょう。




CASE072:解離
88才女性
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あらすじ

認知症になった妻を夫が援助して平和に暮らしていましたが、夫が急死し、娘が同居することになりました。娘は母親の認知症の症状を受け入れることができず、日々過ちを指摘して口うるさく接していました。そのうち娘に小言を言われると意識消失発作を起こすようになりました。

当初はてんかん発作を疑い、抗てんかん薬で治療していました。抗てんかん薬で少し発作が治ったかのようになり様子を見ていました。

あるとき診察時に娘が本人に大声でガミガミ言っている現場に遭遇し、そこで初めて本人の意識消失が解離症状であることが判明しました。そのことを娘に指摘して接し方を変えてみてはどうかとアドバイスしたところ、娘は医師に逆ギレして診察室でわめき出しました。

その後の経過

私はケアマネジャーに連絡を取り、娘といっしょにいる時間を減らすため本人をショートステイに預けるように提案しました。

数カ月後、診察に娘の夫が付き添ってきました。本人の婿にあたる人です。

婿は言いました。

「妻は介護に向いてないので、先生に言われたように義母をショートステイに預けたのです。するとショートステイで帰宅願望が強くなり、落ち着かなくなりました。ショートステイから帰ってきても、やはり落ち着きがない状態が持続して、トイレ通いが頻繁です。

トイレに行くのを制止すると不穏になります。昼間はまだいいのですが夜間も続くので、私たち夫婦が眠れないのです。睡眠薬を処方してもらえませんか?」

婿の話ぶりは淡々として冷静でまとまっていました。娘とは大きく違います。

私は言いました。

「まずは副作用が少ない睡眠薬を出しましょう。デエビゴ®という薬です。それから何度もトイレに通ってもいいのです。何も言わずに往復させておいてください」

婿は言いました。

「そうですね。私はそのようにしています。義母の好きなようにさせていればおとなしいので頻繁にトイレに行ってもそのままにしています。

しかし、妻にはそれができません。どうしても気になってしまい、義母に余計なことを言ってしまうのです。言ったからどうにかなるものでもないし、言えば言うほど義母も興奮してきてしまいます。だから妻のために睡眠薬を出してください」

私は約束通りデエビゴ®を処方して診察を終えました。

診察が終わって午後になり、婿が電話をかけてきました。

「何かありましたか?」

「実は先生に相談があります。妻の前では言えないので電話をかけています。妻はもともとあのような未熟な性格で介護には向いていません。ケアマネジャーと私は、妻には介護は無理だと思っています。義母を認知症専門病院に入院させよるように言いました。しかし妻は反対しました。

妻は母親といっしょに暮らしたいのです。介護にこだわりが強くて思い通りにならないとわめき散らします。ケアマネジャーに対しても毎日のようにクレームの電話をかけるのでケアマネジャーが困り切って私にも関わりを持つよう頼んできたのです。それからは仕方なく私が妻とケアマネジャーの間に入って物事を進めています。

私から見ると妻は現実が受け止めきれなくて、入院させることには否定的です。その話になると理屈が通じなくなって感情的になるので途方に暮れています。まともに会話もできなくなります」

私は数カ月前の診察で私に向かってわめいていた娘の姿を思い出していました。

「確かに、まともな会話は難しいでしょうね」

「ケアマネジャーに『ショートステイでは帰宅願望が強くて預かるのは無理です。短期間でいいから専門病院に入院してもらって娘さんは休んだほうがいいですよ』と言われたのです。それを聞いて妻がケアマネジャーに対して感情的になってしまい、激しい言葉でわめき散らして追い返したのです。それ以降、妻は腹の虫が治まらないようで毎日クレームの電話をかけるようになってしまいました。

いま、私がいろいろな病院をあたっています。入れそうなところがあったら診療情報提供書をお願いします」

「わかりました。決まりましたら電話をください」

どうやら怒鳴られたのは私だけではなかったようです。婿の登場で家族に最善の選択がなされるように祈るばかりです。



連載の終わりにあたって

どんなに患者や家族のことを思って診療していても、患者、家族から怒りをぶつけられることがあります。医師である私よりも接する機会が多いケアマネジャーや看護師、介護職種、事務職の人たちのほうがそのような機会は多いと思います。

ケースワークがうまくいかないことはもっと多くあります。

そのようなときにも、うまくいかないのは自分のせいだと思わないでください。人を援助する職業を選んだあなたはきっといつも相手のために最善を尽くしています。種々の原因で相手に誠意が伝わらないことがあります。こちらの意図が相手に理解してもらえないこともあります。

だからこそ、介入困難事例において、逆境を越えて物事が良い方向に進んだとき、大きな達成感が得られます。

「仕事はお金を稼ぐため」とだけ思っていては長続きしません。働く人のモチベーションは達成感にあるのです。「うまくいかないな」と思ったらチャンスです。それがあなたの将来への大きな原動力になるかもしれないのですから。

読んでくださり、ありがとうございました。

西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。

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